私はかぎっ子

かごっく

物心ついたときから私の胸にはかぎがぶら下がってた。
保育園に親が迎えに来たことなどない。
一度でもいいから迎えに来て欲しい。そう思って保育園に隠れてたことがあるが
鬼婆のような顔で迎えに来られこっぴどく怒られた。
そんな顔を見たかったんじゃない。
それから学童に入れられ6時くらいになると家に帰った。
共働き。
別に寂しくなかった。妹がいたから。
だから仕事をやめてとせがんだこともないし
贅沢もさせてもらった。
私は親を知らない。
今いる両親は果たして「親」なのだろうか。
友達の親はいつも絵に書いたような「親」だった。
「親」として「子供」を見ていた。
私の母親も両親を知らない。その人が教える「親」はまた違うものだ。
親になりきれない親は育てることに一生懸命になる。
物を与え時間を経て大人になるのを待ち望むだけの存在。
それが親なれば私が見た友達の親に違和感を感じることもなかった。

年頃になると独りでも何でも出来た。勉強も出来た。
偏差値が高ければ高いほど期待ものしかかってくる。
塾に入ったが伸び悩んで結局逃げた。安全圏。
そのころから親は大蔵省みたいなものだった。
私は妹以外何も見なくなった。家族というものを。
団欒なんてうそ臭くて気持ち悪くて。独りで部屋にいた。
そもそも団欒なんてしらない。

20歳を超えて父親と住むようになってこのことに気がついた。
私はこの人を「親」としてみていない。
敬っていないのだ。友達みたいな感覚。

私は「親」になれるだろうか。

金銭的にも内面的にも私は与えることが出来るのだろうか。
自分が育つということが物凄いことかもしれないと思い始めた今日この頃。
昨日のテレビ「葬式ドキュメント」のせいだな;;;